しゃもじ尻尾の証明
──その日の朝の稽古場は、いつものように活気に満ちていた。
ぶつかり合う体の音、力士たちの声。それは変わらぬ日常の光景のはずだった。
その空気を引き裂くように、花丸が親方の部屋の襖をバンッ!と開けて飛び込んできた。
「親方、大変ですーーっ!!」
顔は真っ青、息は荒く、目にはうっすら涙がにじんでいる。
親方はお茶をすすりながら、ゆっくりと口を開く。
「……どうした。」
花丸は荒い呼吸を整え、震える声で言った。
「あ、朝乃葉丸先輩が……逮捕されたんです!!」
親方は、手にしていた湯呑みをそっと置き、静かに言葉を発した。
「……どういうことだ?」
「朝乃葉丸先輩にそっくりなネズミが暴れているのが、防犯カメラに映っていたそうです……。
昨日、取組に負けて荒れてたって話もあって……」
花丸は言い淀み、視線を落とす。
「……あの、噂の……」
親方はそれ以上、言葉を続けさせなかった。
「土俵の外で暴れるとは、聞いていないがな。……行くぞ。」
──場面は変わって、警察署。
重苦しい空気の中、朝乃葉丸は椅子に座らされ、モニターを見つめていた。
「……僕は、たぶん……何もしてません……。その時間は……稽古をしてた、はずで……」
警察官が低く静かな声で言った。
「言い逃れはやめてくれ。カメラにはっきり映ってるんだ。
暴れていたのは――君にそっくりなネズミだ。」
モニターに映し出されたのは、鋭い目つきとオレンジ色の歯を持つ一匹のネズミだった。
体格も、毛並みも、目つきも──どこから見ても、そっくりだった。
だけど、昨晩の記憶はぼんやりとしていて──もしかして、本当に自分が……?
朝乃葉丸は、ただ黙って画面を見つめることしかできなかった。
そのとき、黒糖丸部屋の力士たちが息を切らせながら、警察署に駆け込んできた。
重苦しい空気の中、親方がゆっくりとモニターの前に進み出る。
「……朝乃葉丸。お前が暴れたなんて、俺は信じない。」
親方の声は静かだったが、その響きに場がピリリと引き締まった。
朝乃葉丸の胸に、ほんのわずかな安堵が広がる。
けれど──
「……僕じゃないって、言いたいス。でも……わからないス……」
一同は黙って、モニターを見つめた。映像の中の動物が、照明の下に一瞬姿を現す。
その瞬間──親方のつぶらな目が、キラリと鋭く光った。
「……待て。映像を、もう一度見せてくれ。」
警察官が戸惑いながらも、モニターの映像を巻き戻し、再生する。
親方が確かな声で言い放った。
「ムーッ!! これは朝乃葉丸ではないッ!!」
力士たちが息を呑み、場の空気が一瞬止まる。
親方は迷いなく前脚を伸ばし、モニターを指差した。
映像の中、一瞬だけ照明に照らされた尻尾が揺れた。細く、しなやかで、鞭のようだ。
親方が断言する。
「ビーバーの尻尾は、平たく大きい。
あれは、ビーバーの"しゃもじ尻尾"ではないッ!」
警察官たちがざわついた。
「た、確かに……」
「尻尾が細長いですね……」
「顔も……ちょっとシュッとしてる……」
「それに比べて……」
誰かが言いかけ、視線が朝乃葉丸に集まる。
朝乃葉丸は、そっと自分のシルエットを見下ろした。
まんまるだった。
……なんだか、ほんのり傷ついた。
──数時間後。
警察官が静かに報告する。
「確保したのは、ヌートリアの "らごん太"。この近辺で、似たような騒ぎを何件も起こしていたようです」
連行されてきたヌートリアは、確かに……しゅっとしていた。
暗がりでは見えなかったが、よく見ると顔まわりには、白くて立派なヒゲが生えている。
そして、らごん太が叫んだ。
「俺たちが好きでここに来たと思ってんのかよ!?
気づいたら、知らないうちに連れてこられて……
それなのに今さら邪魔者扱いって、なんなんだよ……!!
なんでビーバーばっかりチヤホヤされんだよ!!」
怒鳴り声が響き、場が一瞬、静まり返る。
警察官が、ひと呼吸おいてから言った。
「……話は、ゆっくり聞こう。」
少しの沈黙のあと、警察官のひとりがぽつりとつぶやいた。
「すまなかった……完全に、誤認だった。」
朝乃葉丸は、ゆっくりと口を開く。
「……いいんス。間違われるの、慣れてるッスから……」
その言葉には、何度も傷ついてきた者が持つ、静かな重みがあった。
──夕暮れどき。
茜色の空の下、相撲部屋の力士たちが帰り道に集まっていた。
花丸が視線を落とす。
「僕……先輩をちゃんと信じきれなくて……ごめんなさい……」
朝乃葉丸は首を振り、静かに笑った。
「……大丈夫ッス。ありがとうッス……」
美威薔亞丸が笑顔で言った。
「それにしても、親方……マジでかっけぇっスよ! 名探偵かと思ったッス!!」
温貴丸が少し呆れたようにぼやく。
「いや、最初に尻尾見るだろ、普通……」
朝乃葉丸はふっと笑いながら、心の中でつぶやく。
(僕も気づいてなかったス……)
そのとき、夕日を背にした親方が立ち止まり、ゆっくりと口を開いた。
「……朝乃葉丸。」
その視線は、まっすぐだった。
「お前は、まんまるだ。
だがな――」
一拍置いて、続ける。
「その分、土俵じゃ踏ん張りがきく。」
朝乃葉丸は、目を瞬かせた。
「……ムー! いつも……ありがとうございます!」
夕焼けの中、相撲部屋へ続く道を歩きながら、 朝乃葉丸は無意識に足元を確かめていた。
地面に伝わる、確かな感触。
ずしりと返ってくる、自分の体の重さ。
──警察署で浴びせられた、「まんまる」という言葉。
──親方の、短くて不器用な言葉。
──そして、あのヌートリアの叫び。
「なんでビーバーばっかりチヤホヤされるんだよ!!」
胸の奥が、わずかに波立つ。
それでも、足は止まらなかった。
夕日の向こうに、相撲部屋の屋根が見える。
ビーバーとして、ここで生きていく。
朝乃葉丸は、 そのまんまるな体の重さを抱えたまま、前へ進んだ。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
今回はじめて、小説というかたちに挑戦してみました。
この物語は、ビーバーとヌートリアがよく誤解されていることをきっかけに生まれました。
ビーバーが好きな私は、「尻尾を見ればすぐ分かるのでは?」と思ってしまいます。
けれど、知識がなければ、その違いに気づけないのも無理はないと感じるようになりました。
日本には野生のビーバーはいませんが、見た目がよく似たヌートリアは、かつて毛皮や食用を目的として日本へ持ち込まれました。
ビーバーとヌートリアは、どちらも毛皮を目的に人間に利用されてきたという共通点を持っています。
しかし現在では、その評価は大きく分かれています。ビーバーは生態系に良い影響を与える存在として見直されつつある一方で、ヌートリアは特定外来生物として問題視されています。
らごん太容疑者の話ももっと深掘りしたかったのですが、思ったより長くなったので、今回はここまでにしました。
いつか彼が再登場するお話も書けたらいいなと思っています。まだまだ拙いですが、少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。