あったかまる 3話(最終話)

小さなビーバーは黒糖丸部屋で元気を取り戻しました。
黒糖丸親方をはじめ、部屋の皆は手分けをして彼の身元を捜そうとしました。

「お前、名前はなんていうんだ?」
美威薔亞丸が尋ねても、彼は弱々しく首を振るばかりでした。
「……わかんない」

名前も家も手がかりが掴めないままでしたが、部屋の皆は心当たりを片っ端から当たりました。
しかし、有力な情報はどこからも出てきませんでした。

「身元がわかるまでは、うちで預かろう」
と黒糖丸親方が言い、 名前がないままでは呼びかけるのにも不便だということで、皆は親しみを込めて「チビーバー」と呼ぶようになりました。
最初は大きな力士たちの間で、どこか身を縮めるようにして過ごしていた小さなビーバーでしたが、少しずつその場に馴染んでいきました。

そうして元気を取り戻した彼は、本来の少し皮肉屋な性格を見せるようになり、
よく会話をする美威薔亞丸とは、ちょっとした口喧嘩を繰り返すようになりました。
美威薔亞丸はそれも彼なりの甘えであると察し、微笑ましく見守っていました。


そんなある日、美威薔亞丸がふと思い立ったように言いました。
「いつまでも『チビーバー』じゃ格好がつかないからな。そろそろ、ちゃんとした名前をつけてやるよ」

美威薔亞丸の提案に、小さなビーバーは「えー……」と露骨に嫌そうな声を上げました。
しかし、美威薔亞丸は意に介さず、さらさらと紙に筆を走らせます。

「『華珠叶露丸(かすとろまる)』はどうだ?」
「却下」
美威薔亞丸が言い終わるか終わらないかのうちに、鋭い拒絶が飛びました。

「なんでだよ!これは俺の四股名を決める時に、最後まで候補に残っていた立派な名前なんだぞ。
カストロはラテン語で『ビーバー』っていう意味なんだ」
美威薔亞丸の熱弁にも、小さなビーバーは黙って視線を逸らすばかりです。

その後もいくつか候補が挙げられましたが、どれも小さなビーバーの心には響きませんでした。
そうこうしているうちに、部屋には出汁のいい香りが漂い始め、夕食の時間がやってきました。


皆で囲むちゃんこ鍋の味を、ちゃんこ番である朝乃葉丸に尋ねられた時のことです。
小さなビーバーは、ふうふうと湯気を吹きながら、ぽつりと呟きました。
「あったかまる……」

その言葉を聞いた瞬間、美威薔亞丸が膝を打ちました。
「よし、それを名前にしよう!」

「えっ!?」
唐突な宣言に、その場にいた全員が驚きの声を上げました。
美威薔亞丸は興奮気味に続けます。
「こいつが初めてここへ来た時も、ちゃんこを食べて同じことを言っていたのを思い出したんだ。漢字はこうしよう」

美威薔亞丸は手近なメモ帳を手に取ると、力強い筆致で『温貴丸』と記しました。

「やだよ、そんなダサい名前」
小さなビーバーはすぐさま抗議しましたが、それを見た黒糖丸親方が頷きながら言いました。
「……ほう、漢字にすると案外、筋が良さそうに見えるな」

女将のおか美も、優しく微笑みながら賛成します。
「可愛いじゃない。身元が知れるまでの仮の名前としてなら、悪くないんじゃないかしら?」

周囲の大人たちがすっかり乗り気になってしまい、小さなビーバーはついに言い返す言葉を失ってしまいました。
ただ一人、ちゃんこ番として鍋をかき混ぜていた朝乃葉丸だけが、
(……こんな決め方でいいのか)と、心の中で静かに首を傾げていました。


その日の夕食後。
部屋の隅で、小さなビーバーは美威薔亞丸が書いた『温貴丸』のメモをそっと眺めていました。
指先でその文字を丁寧になぞり、誰にも聞こえないような小さな声で「……あったかまる」と呟いてみます。
そして、まんざらでもなさそうに尻尾をパタパタと揺らしました。

その様子を、朝乃葉丸だけが偶然目にしました。彼は何も言わず、ただ黙って見守ることにしました。


こうして、初めは仮の名前だったはずの「温貴丸」は、
いつの間にか部屋の誰もが親しみを込めて呼ぶ、彼の新しい名前として定着していったのでした。

少々不本意ではあるけれど、この温かい部屋にふさわしい名前かもしれない――。
そんな思いを、温貴丸は心の奥底に大切に隠し持っているのでした。

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